考えたこと・連想したことを、論理の破綻を放置してとりあえず書き出してみる。
データセット、保存したイラスト、素材、ゲーム録画ファイル、編集プロジェクト、電子書籍や資料のPDF。
こういった、ありふれたファイルの管理がすごく苦手だなと思った。
プログラムのソースコードならば、gitで管理せよ、で済ませることができる。これは5年以上使っているので、それなりに慣れているつもりだ。こちらは問題ない。
一方で、10年以上やっているはずの通常のファイル管理はすごく苦手だ。あるいは、苦手になってしまった。
この原因は、以下のようなものかもしれない。
どこにいてもファイルにアクセスできるようにしたい。すべてのファイルのバックアップをとりたい。
すべてのファイルをアップロードする。オンラインストレージ上にファイルがあふれる。
すべてを同期してはローカル容量が不足するので、複雑な同期設定が必要になる。あるいは、同期設定を前提とした複雑なディレクトリ構造にせざるを得なくなる。
ファイルの管理ができない。
物理的な移動なしでファイルにアクセスできるようにするというのは、利便性という面で間違っているとは思っていない。
まあコロナ禍以降、外出の減少によって意味は薄れているかもしれない。
GitHubやニコニコ動画などのWebサービスがどこからでも使えるように、自分のファイルをどこからでも使えるのは便利なはずだ。
実際にどれだけこの利便性を享受しているかというと、怪しいところではあるのだが、これを掘り下げるべきだろうか。
実際にそのすべてを使うかどうかはともかくとして、100MBを越えるファイルやファイル群を扱うことはままある。
これをSaaSでぽこぽこ扱っていたら、料金がすごいことになる。
そのために、自宅でNextcloudをホストして、8TBのオンラインストレージを確保している。
ほぼすべてのPCがデュアルブートになっている。
巨大な単一のオンラインストレージがあることで、どこにどのファイルがあるか、という管理をする必要がなくなる。
このファイルはあのPCの中のあのOSにしかない、ということがなくなる。どの環境に保存したかを覚えておく必要がなくなる。
一方で、何の目的にも、どの環境を使ってもよくなる。
それならば、一番スペックが高く、最も自分の目的で処理上のパフォーマンスを発揮できる環境ばかり使うようになる。
2021年まで母艦のUbuntuばかり使っていた。
一方で、2022年からWindowsでしか動かないVOICEROIDを使い始めたので、それを理由にWindowsをメインに使うようになった。
プログラムを集中して書くときはWindows環境は処理上のパフォーマンスが悪いので、Ubuntuに切り替える。
それでも最近では、Windows環境を使ってもいいんじゃないかと思ってきている。
いまのところプログラムを書く目的が例外ではあるが、環境によって目的を分ける、目的によって環境を分けるということができていない。
すごくファイルがごちゃごちゃしてしまう。
いまはある程度整理した・整理するようにしたけれど、Twitterで見かけた画像とか自分で撮った写真をフラットな単一ディレクトリに保存していて、1ディレクトリに何千とか何万とかのファイルがあった。
同期の仕様とかアプリの仕様とか保存時の手間とかでそうするのが楽だったのだけれど、とてつもなく扱いにくい。
同じことがメモアプリにも起きている。Twitterでファボしたツイートを、IFTTTでEvernoteに自動保存するようにしていて、数万件のツイートが単一のノートブックに保存されている。また、訪れて何か得るものがあったURLをすべてPocketに送っていて、数十万件のURLが分類されることなくフラットに保存されている。Joplinでは、InboxやArchivesというノートブックが、ほぼ分類上の意味を持たずに数百件・数千件のノートが保存されていたりした。これはさすがに整理したが、整理したことの恩恵をあまり受けた記憶がない。これでは整理した意味がなかったのではないかとも思っている。
巨大な単一のオンラインストレージがある環境で、目的意識をもつことは難しいのか?
最近は、「数字_大分類/数字_小分類」というようなディレクトリ名をつけて分類している人を見かけたので、試しに真似てみている。Joplinでは、これ以前に同様の分類をしたけれど、恩恵を受けられているかは怪しいのだが、ファイルシステムでは違う結果が得られるのではないか、と思った。
この方法をとると、このディレクトリをファイラーで開いている、その間はこの作業をしている、というフレーム・目的意識を持つことができそうだと思った。
最近、Workspaceという同期ディレクトリを作った。この中で番号付けし、分類したディレクトリ構造を作っている。Documentsも考えられるが、特定のOSでしか意味がないファイルなどOS依存の構造をもっているため分けている。
こういう取り組みはこれまでに何度もやって、使わなくなって破綻していた。
なぜ使わなくなったかというと、分類されていないために使いづらかったからだと思っている。
これまでは分類はいずれ破綻する、という想定のもと、分類しないことにしていたのだ。分類が破綻したり再分類が必要になるとパスが変わってしまう。様々な環境に同期する都合上、パスが変わることは問題にならないのではないかとも思うのだが、パスが変わるのはあまり気分がよくなかった。
GitHub上のリポジトリも200以上あるが、最近他の人を参考にwebサイト管理用のリポジトリをorgに分割した以外に分類はしていない。
分類しないことによって、思考の枠組みがなくなってしまったのではないか。
永続化の目的でしかオンラインストレージを使わなくなってしまったのかもしれない。
何か作業をすることが減ってしまった。ひたすら永続化し続ける。その状態をなんとかしたかった。価値のある作業をするようにしたかった。
根源には、いろいろなことに対するモチベーションがすごく落ちているということがあるのかなと思った。
それになんとか対処したいというのが、ファイルの管理ができないという問題意識につながっている。
ある意味では、テスト前に部屋の掃除をしたくなるとか、新しい文房具セットを買ってみたくなるとか、というのと同じなのだと思う。つまり意味がない。
すごく飽きっぽいのかなと思っている。飽きっぽさはずっとありそう。簡単に触れるところだけ触って、深淵には立ち入らない。すごくそれが好きだ、ということがない。なんとなく触って、飽きて終わってしまう。そういうことばかりなのではないか?
日記を書くのが無理だ。なにか印象的なことがあったときに、その感想を書くくらいはできる。それに何時間もかけることもできる(逆にかかってしまう、のだが)。だけれど、日記を書くためにいろんなことをしてみるとか、感性豊かにするとか、そういうことはできない。書くことがないから書けない。
絵を描くのが無理だ。なにか好きなものがあったときに、突発的に下手な絵を描くことはできる。それに何時間もかけることもできる。けれど上達するために継続して少しずつ絵を描き続けることができない。
プログラムを書くのが無理だ。なにか必要なスクリプトがあったときに、一回きりあるいは変えずに使い続けるだけのスクリプトを書くことができる。それに何時間もかけることもできる。けれど価値あるプログラムを計画して書くことができない。アイデアもないし、アイデア出しもしていない。作業中のPRも放置してしまっている。
動画を作るのが無理だ。一応の撮れ高があったときに、一回きりで十時間前後かけて動画を作ることはできた。けれど新しくネタを考えたり、ブームに乗ったりしていない。一応まとめればほかに1本作れそうなのに、30秒のクリップとかいって、まとめる時間をかけなかった。
この文章だってそうだ。
自宅のインターネットがたびたび不安定になる。
これもプライベートネットワークにストレージを置きたい理由ではあるのだけれど、そうはいってもインターネットにつながらなければどうせ作業が難しいだろう。インターネットを経由すると遅い、というパフォーマンスは理由になるかもしれないけれど、それが問題になるほど重いファイルをやり取りするかというとしない気がする。出先で使いたい場合にモバイル回線の容量をあまり使いたくないというのはあるかもしれないけれど、転送速度制限がかかることをあんまり気にしたことがない気もする(もともと遅いのでは)。
オンラインストレージ以外に、ファイルが添付できるWikiも考えられるけれど、サイズの上限は数MBあるいは数十MBで、おそらくセキュリティや濫用防止の目的でファイルの種類も制限されることはままある。
これは可能性があって、ファイルにそれを説明する文書を添付できる。オンラインストレージはこれが難しくて、ただファイルをおくだけで、まともに分類できていなかった。なにも禁止されてはいないのだけれど、おそらく面倒くさいからだ。NextcloudにはディレクトリのREADMEを作る機能があったりするけれど、まあブラウザ上で見ることになるし取り回しは悪い。
結局、これまでもできたところでやらなかったのだから、Wikiもまともに作るわけがない…。ファイルサイズの制限とか、ストレージ肥大化とかは問題にならなくて、やらないのは面倒だからなんだろうなという感じがする。
ドキュメントを書くのもすごく下手だ。
画像とテキストを組み合わせたいとか、いろいろ難しい。
またEvernoteを有料契約してしまったけれど、あまり使えている気もせずに、こういうメモをScrapboxに書き出している…。
技術記事を書いても論理破綻とか脱線とかしかしないんじゃないかと思っている。
イーブイを肉じゃがに進化させたけど、エナドリも飲んだし砂糖が多すぎるかもしれない…。
上に行ったり下に行ったりして文章を書くと絶対流れが破綻する。
先にプロットを決めて書くといいと思うけど、それが面倒くさい。
プロットを作った時点で満足するか、途中で脱線してプロットが破綻する。
結局ほかにやらないとならないことがたくさんあるのがよくないんだよな
誰かと時間を約束しても守れる気がしない